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啓蟄の庭・20

2005–08–26 (Fri) 00:09


 ようやくアキラの身支度も終り、狭い部屋から外へと出た。並んで歩く二人の足が、自然とさっきの場所へと向かう。
 その道々、シキが覚醒してからこの一年をどこでどうしていたのか、何をやっていたのかを聞かされた。驚いたことに、その後シキは当初の予定通り、源泉が用意してくれていた施設に入ったということだった。
 さすがに数年間の車椅子生活は、心身の衰退を招いていた。そのままでは闘うことなど出来はしないくらいに。だから、リハビリ設備も整っているというその施設へ行き、身体機能を完全に取り戻すことに専念していたのだという。
 だが、シキは医師に二年はかかると言われたリハビリ期間を、半分、いや、1/3以下の半年そこそこで克服したらしい。まさに、シキならではだ。

 それにしても ―――
「よく源泉のオッサンの言うこと信じたな。シキ、アンタは自分以外の誰も信用しないと思ってたのに…」
 怪訝そうに聞いてきたアキラに、シキがニヤッと歪めた唇を開いた。
「その話を裏付ける証拠を、見せられたからな」
 アキラが怪訝な顔で、素直に復唱して聞き返す。
「証拠?」
 スッと足を止めたシキが、もったいつけたような身振りでアキラを見つめて言った。

「………シルバーピアス」

「あっ!」

 シルバーピアス ――― それは、アキラが源泉へのメッセージを出版社に送った時に使った偽名だった。期待はしていなかったが、ちゃんと源泉の元に渡っていたということになる。だが、偽名の意味も不明だったろうし、内容が確か「あなたの写真を見て、今度は一人で、海を渡ってみたくなった」といった、ごく普通の源泉の写真のファンから来てもおかしくないような文面にしておいたから、源泉にアキラからのメッセージだとわかったってもらえたかが不安だったのだ。
「その名の意味を知っているのは、お前が誰にも話していなければ、俺とお前の二人だけだからな」
 銀のピアス。シキがアキラに刻んだ、所有の証。
 そんなこと、おいそれと人に話せることじゃない。アキラは頬が熱くなるのを感じて、プイとそっぽを向いた。声も少し、不貞腐れる。
「……話してなんか、ない。誰にも…」
 フッと和んだシキの声。
「そうだろうな。だから、俺は源泉の話を信じる気になった。今日俺がここに来たのも、お前がニホンに戻ってきてから送ったメッセージを見たからだ」

 再び二人は歩き出した。そうやって、一歩歩くごとに少しずつ、シキが戻ってきてくれた嬉しさの底に敷かれた、疑問や謎が氷解していく……。


 見覚えのある木や壊れかけた噴水が見えてきた時、アキラは今一番強く胸にわだかまっていたことを、我慢しきれずに吐き出すことにした。
「でも俺は……どうしても、俺の声で『アキラ』って聞いただけで、アンタの意思が戻ったとは思えない」
 少し戸惑ったようにアキラが問えば、シキは以前のような傲慢な態度も露わに答えた。
「当然だ」
「?! ……なん…なんだよ、いったい」
 近寄ったと思ったら突き放される。シキらしいと言えばそうなのだが、少しずつアキラは焦れてきていた。

 かつての公園らしきあの場所へと着いた途端、シキがアキラの方へクルリと振り返り、逆に問う。
「あの時、お前は他に何と言った?」
「え?」
 自分の問いかけを逆手に取られ、アキラは俯いて記憶を辿る。冬の終りのまだ冷たい風が、アキラの足元の渇いた土を少しだけ巻き上げて吹き抜けていった。
「……確か、…アキラは俺だ、って言った。それから………非ニコル、だ、と………」
 言いかけの途中から、アキラも気がついた。

『非ニコル』

 それが、最後のキーワードだったのか、と。
 非(ナル)ニコル ――― ニコルウィルスを無効にする、相反するウィルス。
 シキにとって、非ニコルにはそれほど馴染みはなくとも、ニコルはn(ナノ)に直結する。そして、自分が非ニコルであるということを忘れたい、消し去りたいと思っていたアキラが、自分からは絶対に使うはずのない言葉。だが、その言葉によって、シキの凍結した時間が融けたということなら、それならば完全に納得もできる。
 結局、非とはいえニコルという単語にこそ反応した…。
 アキラよりもn(ナノ)の存在の方が、やはりシキの中では大きかったということなのか……。

 あれほど歓喜に膨れ上がっていたアキラの胸中が、次第に萎んでいくのがわかる。
 ――― やっぱり、どうやっても俺はナノには敵わないんだな……
 そんなこと、始めからわかっていたはずなのに。

「勘違いするな」

 見るからに意気消沈していくアキラに、シキが慰めるでもなく冷静に言い放った。
「俺がニコルという言葉に反応したのは、単なるキッカケに過ぎない」
「……え?」
 アキラにはシキが今更何を言いたいのか、さっぱり予想できなかった。まだ他にも何かあるというのだろうか……。

「意思の復活の兆しが見えた俺は、あのすぐ後、源泉から ―― あのお節介から ―― 聞かされた。お前が置かれている現状ってやつをな。それを聞いて、俺は完全に意識が戻った」
「…? な、に……?」
 何がどうなってそうなったのか、アキラの頭の中は新たな疑問符だらけだ。

「アキラ、お前は非ニコルであるがために、その血を欲するヤツラに狙われている。……そうだな?」

 まるで確認のような問い。

「………ああ、そう…だ」

 アキラは ――― 何故だか、心が高鳴り始める。

「お前は俺のモノだ。俺の所有物を奪うことは、それが誰であろうと絶対に許さない!」

「 ! 」

 不敵に笑うシキを見て、アキラは…………何も言うことができなかった。

 アキラをシキから奪おうとする者たちを排除するために、あの虚無の状態から戻ってきてくれたと…? シキは、そう言っているのか?
 フフンと嘲笑して、更にシキは言う。

「俺たちは余程ニコルウィルスってヤツに縁があるらしい。俺が断ち切ったと思ったら、今度はお前だ。それならば、最後まで付き合ってやるさ。ニコルだろうが、非ニコルだろうが、そいつを根絶やしにするまで、な」

 そして、ついでのように付け加える。
「源泉もよくやる……。奴は自分の記事で、そのウィルスに関する事をすべて公表したそうだ。俺は見てはいないがな」
「あ! あの記事…」
 アキラもすぐに合点がいった。頷いて、合意する。
「お前ももう見たのか。ならば、話も早い。あれのおかげで、お前は今まで以上に多くの敵に追われることになる。だが…」
「………」
 次々と明かされる事実が急展開過ぎて、アキラは話についていくのがやっとだった。
「既にいくつかの研究機関から源泉に接触があった。ニコルウィルスを根絶するために協力したい、とな。国を通しての正式な申し出だったから、かなり信用度も高い」
「!!」
 そうだったのか…。要するに、諸刃の剣ということか。
 確かに、ああやって公表してしまえば、敵も増えるが、今まではまったくいなかった味方も現れるということだ。強く反戦を支持する人々だって、世界にはまだまだたくさんいるはずだ。たとえそこにどんな思惑が絡んでいようと、最初から軍事利用しようとしている奴らよりは数段マシなはずだ。と、そう源泉は踏んだのだろう。そして、それに賭けた。まさに大博打だ。
「源泉からの伝言だ。こういう事態になったからには、もう遠慮せずに定期的に連絡をいれろ、だそうだ」
「……オッサン」
 アキラが感激した声で源泉の名を呼ぶと、シキは途端に不機嫌そうな顏になった。
「源泉には、確かに俺もお前も世話になったが、必要以上に感謝する必要はない。奴も自分の都合で動いているんだからな」
「そんな! ……シキっ!」
 あまりに不義理な言い様に、アキラが憮然として反論しようとすると ――
「向こうもお前の血を研究しようというんだ。当然身柄を拘束しようとするだろう。だが、血を提供する程度ならやむを得ないだろうが、それ以上妥協してやる義務はない。俺たちは俺たちで自由に動く」
「でも、オッサンに頼まれたら……」
 アキラには断る自信がない。
「この数ヶ月、あの記事が公表されてから、お前同様狙われるようになった源泉を守ってやったのは、俺だ。だから、もう借りは返してある」
 今は正式に接触してきた研究機関の中で一番信頼の置けそうな組織の保護下に入ったため、シキの役目も終ったのだと、さも面倒そうに付け加えて。
 アキラはキョトンと呆気に取られた。そして、なんだか可笑しくなってくる。
「シキが………オッサンを? 守って?」
 あの源泉を、このシキが守っていた、と。その様子を想像しただけで今にも大声で笑い出しそうなアキラに、今度はシキが憮然とする。
「仕方ないだろう。俺の体調が戻ってもお前の行方が知れず、しかも、お前からの連絡があるとすれば、源泉を通じてしか方法がなかったんだからな」
 いかにも言いたくなさそうなシキの説明で、アキラはすべての疑問が解消されたことを知った。

 シキが彼らしくもなくおとなしくリハビリに専念したということも、最初それを聞いた時は意外だった。けれど、源泉には経緯的に仕方ないとしても、きっとアキラにそれ以上の自分の無様な姿を見られたくなかったのだろう。シキに、アキラの所有者としての矜持が戻ったのならば、至極当然のことだ。しかし、想像するだけで薄ら寒くなるほど、凄絶な数ヶ月だったのだろう。
 そんなシキもちょっと見てみたかったな、などと呑気なことを思い始めている自分に、アキラは驚きを感じてもいた。

 ゆっくりと仰いで、空を見上げた。以前にトシマで空を見上げた時は、いつも薄暗く、厚い雲に覆われていた。けれど、今のトシマの上空は雲一つなく、青く澄みきっている。風はまだ冷たいけれど、その中に微かに感じる緑の香りが、もうすぐ訪れる季節を予感させてくれる。

 アキラの晴々とした心のように。

 これからも追手に付け狙われる日々は続いていくのだろう。

 ――― だけど、これからはシキと一緒だ

 あれほど嫌悪していた、この呪われた血。

 ――― だけど、そのおかげでシキを取り戻すことができた

 この血から解放される日は、まだまだ遠い未来なのかもしれない。

 ――― だけど、シキと二人なら、たとえその日が来なくったって、構わない。

 本当は、アキラにももうわかっている。この血を、非ニコルの効果を消すことなど、不可能なのかもしれないということを。そうでなければ、n(ナノ)があれほどの絶望に捕らわれることはなかっただろう。
 各国の研究機関が協力を申し出てきたのだって、ほとんどがこの血を何かに利用しようとしているだけだ。研究というものには、莫大な費用と人員と時間がかかるらしい。それを一個人のために費やすなど、到底考えられることじゃない。必ずそこに何かの利益が生じる目算あってのことだ。
 そのあたりは、きっと源泉も承知していることだと思う。アキラにも推測できたくらいなのだから。
 ―――― キツネとタヌキの化かし合い、か…
 お互いに協力するという仮面の下で、利用して、利用されて。
 それでも一方的に搾取されることとは、まったく違う。

 他人に利用されるだけだった、この血。
 望んでなんかいないのに、陥とされてしまった呪われた運命。

 ――― だけど………

 この呪われた血が、シキを、アキラの元に連れ戻してくれたのだとしたら。
 このまま一生、この血の運命(さだめ)と連れ添ってもいいとさえ思った。

 非ニコルで在る限り、アキラはシキと一緒に闘える。

 それこそ、互いの生命(いのち)が尽きるまで。

 この、咎を背負った「血」とともに ―――


 空を見上げたまま動かなくなったアキラに、シキが苛立った声をかける。
「そろそろ、行くぞ。どうやらあまり遭いたくないヤツラが近づいてきているようだ」
 シキに言われて、アキラもあたりに気を配れば、確かに不穏な空気を感じる。気配はまだ遠いようでだったが、今なら簡単に撒けそうだ。いや、シキと一緒なら、もう逃げなくてもいいんだ、と。

「これは返してもらうぞ」
 敵に気づかないフリをしながら歩き出した時、ふいにアキラの背の刀をシキが強引に取り上げた。それは元々シキの物だった刀だ。そして代わりにとでも言うように、シキが現在持っていた別の刀を押しつけてくる。
 しかし、アキラはその刀を押し戻し、シキが取り上げた刀に手をかけていた。
「嫌だ。俺だって、今じゃこの刀が一番使い慣れてるんだ」
 取り返そうとアキラが刀を引く手に力を入れると、シキの眉が釣り上がった。

「貴様! 誰に向かってそんな口をきいている。主には従え!」

「だから、何度も言っている! 俺は俺だ、誰のモノでもない!」

 アキラの声に、シキのそれが重なる。

「「俺は最後まで、俺の意志に従う」」

 一瞬、アゼンとしたアキラと、からかうように楽しげに笑うシキ。


 ―――――――――――――――― 覚えて、いて…くれた…………シキ


 そのまま、ニッと顏を見合わせて、どちらからともなく刀を抜いた。
 はたして、どちらがどっちの刀を抜いたのか……。
「さて、では軽く蹴散らしてやるとするか」
「ああ!」
 二人の予想以上に敵の対応は早かったようだ。別段油断していたわけでもなかったのだが、いつの間にか完璧に囲まれてしまっていた。それだけ敵側も本格的に焦ってきているということだろう。今日の敵は見るからに欧米系だ。銃器もある。
「これからは世界中の、ヤツラのような手合いが敵というわけか…。ふん、相手にとって不足はない」
 もちろんシキには逃げる気など毛頭ない。
 そして、シキと一緒のアキラにも、もう逃げる理由はなくなった。

 抜き身の刀二本を軽くキンッと打ち合わせ、それを合図に。

 意気揚々たる二人、「はぁぁっ!」と掛け声も高らかに、緑と土の匂いの混じる渇いた風の中を颯然と駆け出していった ――――





     - 完 -

↓作者あとがき(今連載について)↓
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啓蟄の庭・19

2005–08–25 (Thu) 01:08

 二人分の荒い息使いだけが、塗装が剥げ灰色のコンクリートが剥き出しになった小さい部屋の中を満たしていた。一度イッただけなのに、全体力を使い切ったような脱力感に襲われる。このまま、シキと繋がったまま眠ってしまいたい誘惑に駆られたが、アキラは必死でその誘惑を撥ね退けた。
「………シキ」
 生理的に流れた涙に濡れた瞳で、目の前の主を見つめる。シキも、もうガラス玉ではない炎の宿った瞳で、アキラを静かに見つめていた。どちらからともなく唇が近づき、チュッと軽い音をたててキスを交わした。
 それを機に互いに体を離し、ゆっくりと身を起こす。本当はいつまでもこうして抱き合っていたい。けれど、どうしても抑えきれない渇望だけは満たした今は、それよりももっと大事なことがあった。

 一足先に身繕いの終ったシキが、ついさっきまで二人が情事に燃えていたソファに座り直す。まったく力の入らないアキラは、服のほとんどを脱がされていたこともあって、着終えるまでまだ時間がかかりそうだった。それでも、アキラの目が話を聞きたいと訴えていた。シキも小さく頷き、語り始める……。



 一年前、アキラが源泉とシキの元から、一人、逃亡の旅へと発った直後。
 襲撃者たちもアキラの後を追い、部屋から姿を消した。そして、源泉と人形となったシキだけが残った。
 ――― はずだった。
 けれど、源泉は見た。

 部屋の隅で動いたモノ ――― ベッドの上に起きあがり、源泉の方を見ているシキを。

 その瞳はまだ、霞みのかかったようにぼんやりとはしていたが、つい先刻までのような人形のそれではなかった。なにより、その眼には意思が感じられた。
 そして、源泉はその耳で聞いたのだ。
「………ア…キラ」
 長いこと使われなかった声帯は掠れていたが、はっきりと、シキがそう言ったのを。
 その時、源泉は予測もつかなかった事態が起こったことを悟り、頭を抱えてしまったのだった。

「なんてこった……」



「その時の俺は、長い夢から覚めたばかりといった状態で、意識もはっきりとはしていなかった。その状況は後から源泉に聞いて知ったことだ」
 シキの説明にアキラは思わず唇を噛む。
「……あの後すぐに……なんて。 だったら! ………いや、今更言っても仕方ないことか…」
 アキラのセリフに、シキもコックリと頷いて同意した。
「源泉もまさかそういう状況になるとは想像もしていなかったから、すぐにお前を探しまくったそうだ。だが、見つからなかった」
 アキラは尚一層唇を強く噛んだ。当然だ。あの頃のアキラは、とにかく身を隠すことを優先して、逃げて逃げて……。ほんの少しでも自分の痕跡を残さないように心を砕いていたのだから。
「………だけど、どうしてあの時に…?」
 少しばかりの恐れとともに、一番気になっていた疑問を口にする。シキは目を薄めて、遠い記憶を呼び覚ますように語った。

「俺にもはっきりとしたことはわからない。俺はずっと<無の夢>の中にいた。何も無い。意志も意欲も目的も、感情も、無かった。時間の感覚すらまったく無い、まさに<無の夢>だった…」
 その間中、話しているシキ本人よりも、アキラの方がよほど辛そうな顏をしていた。
「それでも、時々、その夢を破る音と声が聞えてきたことはあった。懐かしい、何かが鋭くぶつかり合う金属音と、誰かの声が。その時の俺は、それが何なのかわかろうともしなかった。懐かしいと感じるのも、ただ漠然と不思議に思っていたほどだ。だが、その音を聞いた後、必ず記憶の片隅から聞えてくる声があった」
「……………」
「今思えば、それは俺がお前に名を聞いた時の記憶だった……」
「……っ! だったら、だったら何故っ?」
 突然激昂して詰め寄りそうになったアキラを、少し寂しげな視線で制して、シキが続けた。
「<無の夢>に取りこまれて薄れていた俺の記憶では、その名も意味を持たなかったんだろう…。それが、あの時………」
 シキが真剣な眼を虚空に向ける。そんなシキを食い入るように見つめるアキラも、湧きあがってくる不可解な思いを、コクリと喉を鳴らして飲みこんだ。
「長い<無の夢>の中でも、久々にその音を聞いた時。はっきりとお前の声で聞こえた。切羽詰った声で、『アキラ』と。その瞬間、俺の中の無が晴れた………」

「!!」

 初めて、理解した。やっと。
 鋭い金属音。それは刀の剣戟の音だ。それは、シキ自身の音だ。
 そして、『アキラ』という名前。それもアキラ自身の声での。
 それらが、キーワードになっていたということなのか……。

 しかし、まだ何か…が、しっくりとこない。
 シキが人形となり果ててから、アキラはシキに何度も話しかけた。元に戻って欲しいと訴えた。けれど、シキはそれらには何の反応も示さなかったのだ。
 確かにアキラがシキの前で自分の名前を口にしたのは、最初に名を聞かれた時だけだったかもしれない。何かの拍子に名前を言ったことはあったような気はするが……。
 まさか自分の名前がそれほど大きな意味を持っているなんて、誰が想像するだろうか。
 だからシキにとって、アキラという存在は、n(ナノ)を超えることができなかったのだと ――― それでも無理はないと、思っていた。思うしかなかった。

 そう、n(ナノ)を倒すことが、シキの最優先の目標だったから…。

 n(ナノ)を己の刀で切り捨てて、生きる目的そのものを無くしてしまったシキ。

 そのために、あれほど生気に溢れ、恐ろしいまでの存在感のあったシキが、生きた人形に成り果ててしまうほどに……。

 だからこそ『アキラ』という名前が、存在が、それに為り代わったとまでは、アキラにはどうしても思えないのだった。



  <続く>

↓作者あとがき↓
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啓蟄の庭・18

2005–08–24 (Wed) 04:15


 しばらくして、いつまでも離れないアキラに、シキが業を煮やしたように激しく口付けてきた。いかにもシキらしくはあるが、考えてみると、二人がこれほど深く口付けたのは実は初めてだったかもしれない……。
「…んっ………、…ッ……」
 息も出来ないほど貪られ、唇が離れた後も、ぼぅっとした頭でアキラはそんなことを考えていた。
 と、突然。
「行くぞ」
 シキにいきなり手を引っ張られた。そのまま引き摺るように連れていかれる。
「……ぇ? …ど、どこへ……」
 アキラの問いかけにもまったく応える様子はなく、ズンズンと先を急ぐシキ。
 やはり、シキだ。
 縺れる足でシキの後ろをついて行きながら、アキラはそんなシキの様子を心底喜んでいる自分が可笑しかった。
 相手のことなど関係ない。自分のやりたいようにやる。
 傲岸不遜。唯我独尊。傍若無人。
 それがシキだったから。

 シキに連れて行かれたのは、そこから最も近い廃ビルだった。アキラが入るのは初めてだ。しかし、シキは勝手がわかっているらしく、鉄扉を開けてさっさと奥へと入っていく。途中ところどころが崩れかけていたが、他のビルがほぼ倒壊状態なのに比べればまだマシというところだろう。暗い廊下伝いに三つほどある扉の一番奥を開けて、シキがアキラをその中へと引き摺りこんだ。繋がれた手をグイと強引に引かれて、体がすれ違いざま、背中の刀を偽装してある袋ごと取り上げられ、そのまま前へとつんのめる。
「ぅわっ!」
 倒れこんだところは、薄汚れてはいるがまだちゃんとスプリングが利いている、灰色のソファの上だった。後ろ手でガチャリと扉に鍵を掛ける音がする。鍵なんか掛けなくたって……と言いかけて、ハタとアキラは自分の現状を思い出した。アキラが逃げることを危惧して錠をかけたのではない。外からの侵入を一時的にでも食い止めるため……なのだ。首を巡らして、他の家具のまったくないその狭い部屋を見渡しても、窓は一つもなく、出入り口はその扉だけのようだ。シキはアキラ以上に、アキラの現在置かれている状況を把握しているように思えた。

 そんな考えに浸っていると、いつの間にかアキラはソファの上に仰向けにされていて、服が摺り上げられている。
「…! シ、シキッ!」
 まだ何の話もしていない。なのに………。
「はぁっ! …ぁぁああ、…っん……」
 シキが、あの銀のピアスに口付けていた。そして、舌を這わせてくる。
 一気に心臓が跳ねあがるほどの ――― すごい快感だった。
「相変わらず、敏感なことだ…」
 ニヤリと笑った、支配者のその表情を見た途端、アキラは歓喜に鳥肌立った。
 欲して欲して、やっと与えられた感覚。
 全身が、心が、悦びに打ち震えている。
 性急に服を脱がされても、既に固くしこっている胸の突起に舌を這わされても、アキラはもうシキにされるがままだった。いや、むしろ自分から進んで体を開いていく………。
 シキの指が、アキラの体の一番深い所へと侵入してくる。
「あっうっ…、…っ…くぅっ……」
 鋭い痛みとともに強引に押し入ってきた指を、アキラの内壁が絡め取るのがわかる。
「固い……だが」
 己の指でさえ拒絶したそこが、幾度も幾度も収縮して内へと引き込み、それでも足りないと訴えているのが伝わってくる。それは、シキにも十分伝わっていて、抜き差しの速度が速くなる……。
「はぅっ、くっ…、…っ…ぅ」
「少し、我慢しろ」
 命令口調ではあっても、以前は決して発せられなかった労わりの言葉。抜かれる指にさえも反応して。
「…ぁ……」
 大きく足を広げられ、折り曲げられても、少しも苦しいとは思わなかった。体中が、早く、と叫んでいるようだ。
 待ち望んでいたものが、アキラを貫く。
「ああああっ! ……ああっ、うっ! …っ……」
 引き裂かれる激痛でさえ、感涙に取って替わり、深く押し挿ってくるシキそのものを飲みこんでいく。

 ――― 熱い。

「熱い、な」

 二人同時に。強い思い。
「はぁ………あ、……んっんっん」
 深く収まるとすぐに動き出したシキの律動に合わせるように、アキラも足を絡めて強く抱き返す。
「……っ」
 さすがのシキも、今回ばかりは余裕など微塵も見られない。ただ、アキラを貪り尽くそうとしている。それが、アキラには嬉しかった。
「あっ、あっ、……シ……キ…ぃ」
 今までに出したこともないような甘えた声、仕草。もう隠す必要などないのだとばかりに。アキラは、触れられてもいないのに、昂ぶりがはちきれそうになっていた。先端からは耐えず雫をこぼしている。おまけに、胸を弄んでいた指が降りていって、臍のピアスをなぞられてしまえば、もう……。
「…ああっ! あぁっ……ん、ん……んぁ…ぅ」
 その上、シキに。
「………ア………キ、ラ…」
 そう、名前を呼ばれただけで。
「あっあっ! あああああぁぁっっ! …んっ……うっ」
 ビクビクビクっと強い痙攣とともに、一瞬気が飛んでしまいそうな絶頂を感じながら、アキラは白い欲望を解放した。
「…………くっ…」
 自身が千切れそうなほど強く締め上げられたシキも、眩暈いを感じるほどの感覚を覚え、アキラの中へと熱き飛沫を注ぎ込む。

 その間中、ギシギシとうるさく軋んで響いていた、ソファの壊れかけのスプリングの音は、二人にはまったく聞えてなどいなかった。



  <続く>

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啓蟄の庭・17

2005–08–23 (Tue) 01:35

 アキラは ―――― 自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 何故なら、この声は。

 アキラの記憶の中に鮮明に残る、この声は…。

 二度と聞くことのできないはずの ―― 声だったから。

 ガタガタと体が震え出す。
 振り向きたいのに、振り向けない。
 体中を見えない鎖で縛り付けられているようだ。
 息が……苦しい。

 そして、その呪縛を解いたのは、やはり同じ「声」だった。

「……アキラ」

 弾けるように振り向いて、同時に叫ぶ。

「シキッ!」


 そこに、シキがいた。


 瞬間、すべての音が消えた。色も消えた。見えるのは、黒と白、そして、赤。
 そこだけ切り取られた、一枚のフィルムのように。

 以前と同じように、黒い皮のコートと服を着て。

 以前と同じように、白い怜悧な笑みを浮かべて。

 以前と同じように、熱く燃える赤い瞳で。

 立っていた ――― 一人で。

「やはり、ここに来たか…」

 シキが微笑んでいる。
 信じられない。
 まさか、夢なんてことは……。
 そう思った途端、アキラは何度も首を強く横に振った。

 いや、夢であるはずが、ない。

 シキは、今、ここにいる。

「………シ、…キ………」

 自分のとは思えないほど、声が滲んでいた。
 体と同じく、震えてもいた。
 足が前に出ない。一歩も。
 まだ、呪縛は続いているのか……。

「…………な、んで…」

 掠れた声が、知らず知らず漏れていた。
 何故? どうして? いつ? どうやって?
 いくつもの疑惑や疑問が、頭の中でグルグルと回る。
 でも、そんなこと、今はどうだっていい。

 そんなアキラの気持ちを察したのか。

 シキが。

 ニッと ――― 笑った。

「俺は……」

 あの、不遜な態度で。

「俺のモノを、取り戻しに来ただけだ」

 シキだ。
 これこそ、シキだ。
 それでもまだ、足は動かない。
 まるで、主の命令を待つ狗のように…。

 シキの表情が鋭くなった。
 睨むように、アキラを見つめている。

 そして、一言。


「来い!」


 ―― 刹那 ――


 駆け出していた。


「シキッ!」


 文字通り、アキラは飛び込んでいった。

 差し伸べられた、シキの手の中へと……。



 自分からシキに ―― 抱きついていったのは初めてだった。
 少なくとも、シキが意思を失くすまでは。それまでは、ただ奪われ、与えられ、翻弄されていただけだった。そこにアキラの意志は介在しなかった。
 けれど、今は違う。アキラはアキラ自身で決断し、シキの側に居ることを選んだ。そこに至った理由が、正気を失くした状態のシキであったとしても、その決意は今も変わらない。

 広い胸に抱きとめられて、アキラは声も無く、ひとしきり泣いていた。恥かしいとは思わなかった。大の男が人前で泣くなど、本来なら人一倍羞恥心の強いアキラには考えられないことだったが、今はそんなことさえもどうでもいいと思えた。

 この一年の寂しさに比べたら………。

 シキに会う前は、このトシマに初めて足を踏み入れるまでは、一人でいることの方を好んでいたはずなのに。側に人がいることが煩わしかったはずなのに。
 シキの腕の中で次第に治まってきた感情が、今の状況とはまったく関係のないことを考えさせていた。自分で自分の考えが可笑しくなる。

「気が済んだ、か…?」

 シキらしくもない、優しい言葉が降ってきた。またも涙が滲みそうになり、アキラは慌てて返事をしていた。

「……ああ」

 しかし、もろに涙声になってしまい、シキにもそれが伝わってしまったようだ。クスッと可笑われる。

「……まったく、お前は…」

 途端、湧きあがってきた恥かしさと懐かしさで、アキラは一層強く頭をシキの胸へと擦りつけた。シキの匂いがする……。
 そんなアキラの髪を愛おしそうに撫でて、シキが続けて言った。

「俺に聞きたいことが、あるのだろう?」

 そうだ。聞きたいことは山ほどある。

「ああ……たくさん、ある。でも……」

 でも、今は。

 もう少しだけ。

 こうしていたい、と。



  <続く>
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啓蟄の庭・16

2005–08–22 (Mon) 02:50


 トシマへと向かう道すがら、トラックを乗り継ぐ合間を縫って、アキラは源泉に連絡を取った。遠まわしに、ニホンに戻ってきたという意のメッセージを……。
 とは言っても、源泉が今どこにいるのか、アキラは知らない。こちらの現在位置も知らせていないから、お互い直接には連絡の取りようもない。けれど、源泉が拘束もされず無事でいることだけは知っていた。
 何故なら、源泉の今の職業がジャーナリストだったからだ。写真を主とした取材を重ね、不定期発行の写真情報誌に彼の記事が掲載されていた。源泉は世界中を巡り、各地の今だ現存する雄大な大自然や、それと対称的な大戦の後遺症に苦しむ人々の生活などを、写真というメディアで人々に広く訴え続けていた。大陸ではなかなか手に入らなかったが、ニホンにいた半年前までは源泉の記事が載っている雑誌を見て、安堵していたものだ。源泉が無事ならば、きっとシキも大丈夫だと、自分に言い聞かせて。
 源泉が世界を飛び回れるほどならば、源泉とシキは、おそらくアキラの追手たちのターゲットから外されたと考えていいのだろう。もちろん、完全に監視外に置かれたとは考えにくいが。アキラにあれほど強く言い切った源泉が、シキをないがしろにして、仕事とはいえ国外へと出かけて行くはずはないと。
 シキは今、どこの施設にいるのだろうか……。
 シキのことを思うたび、息苦しくなる思いがアキラを苛む。だけど、今は信じるしかない。まだ、アキラはシキには逢いに行けないのだから…。
 今までに二度ほど、約一年前と半年前、別れてすぐとニホンを離れると決意した時にも、今回と同様にアキラは源泉に連絡を取った。いや、連絡を取ったとは言えるかどうか…。源泉の記事が掲載されていた出版社宛てに、彼の一ファンとしてメッセージを送っただけだったから。当然偽名だ。文面も万が一を考えて当たり障りのない内容だったから、それがアキラからの連絡だと源泉がわかったかどうかさえ定かではない。またそれ以前に、出版社から源泉へと伝わったのかも不明だ。しかし、そういう手段しか、今のアキラには取る術がなかった。

 そして今アキラの手元には、源泉の写真が載るその出版社の情報誌がある。やっとの思いで手に入れたのだが、もう何ヶ月も前に刊行されたものだった。それでもアキラがニホンを離れてからの物だったから、まだ目にしたことはない。
 地方都市に本社を置くその出版社の写真情報誌は、以前は不定期だったが、現在は季刊発行されているらしい。こういう文化的な制度が整ってきたということは、これも復興の一端なのだろう。大陸とは比べるべくもないが、ニホンもようやく復興の成果が本格的に現れてきたのかもしれない。地方から徐々に秩序というものを取り戻しているようだった。
 逸る気持ちを抑えながらページを捲り、目的の源泉の記事を読んだアキラは…………驚愕した。

 そこには、アキラに大きく関わることが書かれてあったのだった。

 すなわち、Project Nicole = ニコルウィルスについてである。
 おそらく源泉が知っていることの全てを暴露したのではないかと思えるほどの、かなり詳細な記事だった。要約すれば、戦時下の最重要機密だった Project Nicole の研究機関ENEDに関することから、唯一の生体兵器としての成功例・n(ナノ)の最後までを淡々と報告形式で記述してある。そこには、内戦前にキュウソ・トシマで横行していたラインのことまで言及してあった。そして、最後にはこう締めくくられていたのである。

『恐るべきニコルウィルスは、現在は存在しない。しかし、被検体とされた子供たちが成長していく過程で発症した、非ニコルというウィルスの存在は確認されている。これはそれ自体には何の害もないが、おそらく他にも類似の発症例があることだろう。そして、子供の頃の記憶を強制消去された彼らは、ほとんどがそのことに気がつかない。戦中ニホン旧体制の忌むべき後遺症とも言えるこれらは、我々の誰の身の上にも起こり得ることである。そのことを、決して忘れてはならない。』

 衝撃的な警鐘だった。
 これで、ニコルウィルスと非ニコルは、一部の人々のみが知る秘密ではなくなった。
 しかし、これでは………。
 今まで以上に、アキラの中の非ニコルを捜し求める輩が増えるだけではないのか?
 もちろん、これまでのように軍事利用しようというヤツラだけではないだろうが、それでもアキラにとっては同じことだ。いや、むしろやっかいなことかもしれない。力で捩じ伏せて捕らえようとするヤツラには力で対抗すればいい。対抗できなければ逃げればいいだけのことだが、摂理や道理を説かれて平和的に接触しようとしてくる輩にはどう対処したらいいのか……。アキラにはそんな場合の対応法など、皆目見当もつかない。
「やってくれるぜ……オッサン」
 アキラは思わず、恨みがましい気持ちを込めて呟いていた。

 こうなると、つい先日、ニホンに着いてすぐに、出版社に連絡を入れたのは失敗だったかもしれない。まさかこういう事態になっているとは、露ほども考えていなかった。とりあえず、また偽名を使ったことと、別にはっきりと所在を知らせたわけではなかったのが、唯一の救いか…。
 たぶん源泉にはもっと深い考えがあってのことなのだろう。が、それが何なのかは、今のアキラにはまったく理解し難かった。


 そして、アキラは今、あのトシマにいた。
 ニホンに帰ってきた時はまだ漠然と、まずはトシマへでも行ってみようかという程度だった。アキラには行くべき場所さえなかったのだから。しかし今は、事態がアキラの想像の範囲を大きく超えてしまっている。これからどうしたらいいのか、自分でもさっぱりわからなくなってしまった。だから、自然と足が向かっていた。

 すべてが終り、そして始まった場所。 ―――― トシマへ。

 トシマの北地区、アキラが己の血の宿命を初めて知らされた、あの場所へと。

 内戦時、トシマも戦場となり元々荒れていたこの地域でさえ、今は見る影もないほどに破壊し尽くされている。以前はまだそこそこ残っていたビル群も、相当数が崩れ落ちていた。けれど、あの、すべてが生きることを拒否しているような場所だけは、かろうじてそのまま残っていた。

 感慨……と呼べるかどうかはわからないが、それでもそこに立てば、懐かしい思いが湧いてきた。アキラの人生をそっくり塗り替えてしまった場所でもあったから。そして、彼の人の、勇猛果敢な姿を見た最後の場所でもあったから。

 不意に。

 アキラの背後で、人の気配と声がした。


「アキラ」



  <続く>
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啓蟄の庭・15

2005–08–21 (Sun) 02:31


 シキと別れたあの日から、ちょうど一年くらいが経った頃だろうか……。
 アキラは、三度(みたび)ニホンに戻ってきていた。頼みこんで乗せてもらった運搬トラックの中から見える景色は、厳しい冬もそろそろ終ろうかという候、遠くに霞んで見える山々にはまだ雪が残っていたが、平地の木々には少しずつ薄緑の芽の息吹きが感じられ始めていた。

 この一年の後半、アキラはほとんどニホンにいなかった。密航して大陸に渡り、あちらこちらを転々としていたのだった。大陸に渡ったのにはちゃんと理由がある。
 あの夜、襲撃してきた三人。確証はなかったが、たぶんアジア系に間違いないだろう。源泉が言っていた各国の牽制、つまり暗黙の休戦協定を破ってまで襲ってきたということは、それだけの危険を侵してもアキラを手に入れたい「何か」があったに違いない。それが何なのかは皆目見当もつかなかったが、非ニコルに関しての情報が無に等しいアキラにとっては唯一の手がかりだったのだ。
 大陸に渡れば、何らかの情報を得られるかもしれない。そう思い至ったとしても不思議はない。

 もちろん、非ニコルに関して、アキラだって少ないながらの知識はある。ただ、おそらくそれに関係している人々の中では、最低の情報量だとは思うが……。
――― まったく、当の本人が一番自分のことを知らないってのは、どうだよ…
 しかし、愚痴っていてもしょうがない。どんなに途方もないことだって、やらなければならないのだから。とりあえず一歩を踏み出さなければ、何も始まらないのだから。

 大陸もニホン同様、大戦の爪痕が手酷く残っていた。特に大きな都市はニホンのキュウソと同じく、壊滅的な打撃を受けていた。けれどニホンと違い、広大な国土を持つ国は、無傷の豊かな地方も数多く残されていたのである。そして、豊富な労働力。それらを以ってすれば、復興が早いのも頷ける。
 けれど広大がゆえに、アキラの探索は困難を極めた。難民を装い、各地の施設設備を渡り歩いたが、目的の情報の欠片さえ得られない日々が続いた。

 ニホンにいた頃は、どんなに逃れてもしつこく追ってきていた連中も、大陸に渡った途端パタリと止んだ。この国は今、難民が溢れている。アジア地区では一番復興が進んでいるからだ。陸続きの周辺の国々から、生きるために流れてきた難民たちは留まることを知らなかった。当然、国としては難民の取り締まりには厳しかったが、その広さならいくらでも隠れ住むことができた。官憲たちの目の届かない地区にはいつのまにか難民の村が出来上がり、賑やかになった頃、公僕に踏み入られ捕らえられそれぞれの国に強制送還される。逃れられたとしても、皆散り散りになっていく。それでも人々はしぶとく新たな集落を作る。その繰り返しだ。逆境に置かれると、人のなんと逞しいことか。
 そういう難民たちに紛れていれば、言葉が通じないことなどほとんど障害にならない。同じ国民でも北部と南部では、かなり言語の違うお国柄でもある。また、他の国の難民も多くいれば、数ヶ国語が入り乱れることなど日常茶飯事だった。
 まさに、木を隠すには森の中、だった。アキラの武器である目立つ刀は、難民が持っているのには少々無理があったから、一見して釣竿でも入っているかと思えるように上手く布で包んで偽装しておいた。もちろん、万が一の時には、すぐに抜けるよう工夫してあったが…。

 しかし、そうやって独力で数ヶ月流離ってみて、アキラにもやっとわかったことがあった。こうして逃げてばかりでは、何も得られることはないのだと。大陸での難民生活は、確かに追手の目をくらますためには最適だった。が、情報が得られない。手がかりがまったく無い状態で情報を得るということは、砂漠の中に紛れこんだ砂金の一粒を探すことにも等しい。
 もちろん、逃げること、すなわち捕まらないことが一番なのだが、それではアキラの生きる目的には為り得ない。たぶんこのまま難民に紛れていれば、ただ逃げて生き延びるだけならできるだろう。この数年で、危機回避能力だけは飛躍的に上がったという自負もある。だが、アキラはそれが生きる目的ではない。一人っきりでただ逃げるだけの人生なんて、誰が望むだろうか……。まだ、余生を静かに送りたいと思える歳でもない。

 いつか必ず、非ニコルを克服して、誰にも追いまわされる心配なく、堂々と………シキに逢いに行く。そして、例え人形となったシキとでも、ずっと一緒に暮らして生きたい。
 それが、アキラの望みだ。

 また、シキの体のことも心配だった。人間として生きていくための欲求を無くしたシキは、介護されていても日々体は衰弱していく。若く鍛え上げられているから、まだそれほど急を要していないだけで、それでも普通の生活ができる者よりは一緒にいられる時間は短くなるはずだ。そんなこと考えたくもなかったが、今、考えなければならないことでもあった。

 だからこそ、早くこの血の宿命を断ち切るためにも、まずは情報を得なければならない。
 ニホンで幾度か追手と交戦した時に、僅かだったがアキラの知らないことがわかったことがある。
 毎回追手の顔ぶれが違えば、否応なくわかること。アキラを追っているのは、四つの国、もしくは組織だということ。同じ国でも指令体系が違えば、完全に別行動となるのだろう。
 そして、それぞれの追手でも、アキラに対する捕獲方法が違う。ある組織は、それこそ命さえあればいいと言わんばかりに、本気で腕を切り落とそうとしたヤツもいた。また、別の追手は、そいつらとは正反対にまったくの無傷で捕らえようとしていた。それぞれの組織でも非ニコルへの情報の量や質、対応が違うのだ。おそらく、この血をどう利用しようかという心積もりでも変わってくるのだろう。
 これらのことから導き出される答え。それは、追手から完全に逃げるのではなく、追われながらも刃を交え、その都度、少しずつでも情報を得るべきだということだ。そして、そうしながら絶対に捕まらないこと。追手の前に自らを晒し、なのに己を守る。困難極まる選択である。
 けれど、自分の目的に少しでも近づくためには、それが一番近道のように、アキラには思えた。

 だから再び密航し、ニホンの地を踏みしめた。
 そのアキラがまず目指したのは ――― キュウソ。
 あの、トシマだった。


  <続く>
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啓蟄の庭・14

2005–08–20 (Sat) 00:49


 ガシッと、対峙していたナイフの男をアキラが力任せに振り払う。
 そのまま入り口の源泉のところまで、後ずさりして行った。
 おそらく素手の男が、こいつらのリーダーなのだろう。
 残りの二人はこちらを窺がいながらも、男からの指示を待っているように見えた。
 先ほど源泉が撃った銃撃は、素手の男のすぐ横の壁に穴を穿っていた。
「次は外さないぜ?」
 ニヤリと笑う無精髭が、これほど頼もしく思えたことはなかった。
 源泉が視線と狙いはそのままで、突然の雨に濡れて水の滴る髪を掻きあげながら、アキラに向かって言った。
「遅くなっちまって悪かったな。だが、こうなったら仕方ない。アキラ、このまま行け。後のことは俺がなんとかする」
「……っ。だけどっ!」
 アキラも構えは崩さないまま応じる。
「大丈夫だ。オイチャンを信じなさい。こちらさん方も、休戦協定を破ってまで襲ってきたってことは、それだけ必死なんだろう。お前さんがこの場から離れれば、そっちを追ってくさ。お前さんが簡単にとっ捕まるようなタマじゃないってことは、今ならよーくおわかりだろうしな。それを殺さずに捕まえるなんざ、大変な仕事だ。戦力を分散するような余裕なんかないだろうさ」
 アキラさえここから逃げれば、彼らはアキラを追って行き、源泉とシキは安全なのだと言っている。わざと、敵にも聞こえよがしに…。
 そんなにこちらの都合の良いようには、事は進むはずもない。けれど、今は源泉の言葉を信じて、それに従うしかないのも、又、事実だった。今はこうして睨み合っているが、ひとたびリーダーの男が頷けば、たとえ源泉が男を銃で倒したとしても、その間に残りの二人にやられてしまう。シキと源泉の命は、彼らの目的上、生殺与奪は無関係なのだ。そして、アキラも生きてさえいればいいのだから、これ以後は先ほどまでのような手加減はないと思った方がいい。だからここは、まだ様子見という感じの敵の今の状態に逆便乗して、さっさと逃げるのが得策だろう。

 しかし…………、いや。

 別れはさっき済ませたはずだ。

 だから、今は……。

 最後に一目シキの姿をと思っても、リーダーの男の後ろにすっかり隠れてしまっていて、確認さえもできない。アキラは薄めた眼に力を込めて、目線は敵から外さないまま一度強く首を振った。
「わかった! オッサン!」
「おう!」
 勢い良く言った後に、小気味良い返事。
「シキを頼む」
「まかせろ。すぐそこのドアが裏口だ。そっから行け」
 その後の、小さき呟きのやりとりに頷いて…。
「じゃあ、またいつか、必ず逢おうぜ、オッサン!」
 場違いなほどの明るい声音を残して。
「おう、お前さんもそれまで捕まるんじゃねーぞ!」
 源泉の声が聞えたかどうか、アキラは素早く身を翻して、まだ夜の明け切らぬ外へと飛び出して行った。

 アキラの決断と行動の早さに一番驚いたのは、襲撃者たちだった。
 これまでの経緯からすれば、アキラがまさか仲間を置いて逃亡するとはまったくの想定外だったのだ。他の二人はどうするべきかリーダーを見つめ、リーダーも一瞬迷ったものの、すぐにアキラの後を追う判断を下したようだった。
 今までのアキラだったら、その足跡を追うのも容易かった。シキと一緒だったから。だが、今回はシキを残している。もしかしたら、このまま別行動となるかもしれない。となると、自分だけでは動けないシキを含むこの二人と、一人で自由に動ける身となったアキラとでは、どちらが追うのが困難か、推して知るべしである。そして、無論、彼らの標的はアキラなのだ。この二人に関しては、本部に連絡して対処してもらうことにすればいい。
 リーダーの男が、クイっと首を捻ると、それこそ影が掻き消えるように三人の姿が窓の向こうに消えた。元々、本気でやりあうつもりなどさらさらなかった源泉は、黙ってそれを見送っていた。

 アキラと侵入者たちの気配が消えて、部屋にはそれまで降っていたことさえ忘れられていた雨音だけが残る。その音に触発されたように、源泉が願うように呟いていた。
「……アキラ。上手く逃げきるんだぞ」
 源泉もできる限り手助けするつもりはある。だが、それもこれも、アキラがどこかの国の施設に捕まって研究材料にされてしまえば、すべてお終いなのだ。そうなれば、もう最悪だ。一度捕まってしまえば、ニコルウィルス保有者だったn(ナノ)と違い、通常の状態では常人と変わらないアキラでは、脱出はほぼ不可能だろう。外部からの奪還は更に困難を極めることも……。そして、またも世界は破滅への道へと踏み出して行くことだろう。
 だから源泉がアキラを助けることは、単にアキラのためだけではない。世界のため、いや、端的に言えば自分のためでもあるのだ。ENEDにいた源泉は、その原因、経過をよく理解しているから、そこから導き出される結果を予測できるだけなのだ。

「さぁて、ここも早く引き払わないとな。奴らの仲間が来ないうちに」
 いくつかある拠点のうちで、一番居心地の良い場所だっただけに、ここを処分するのには少々感慨深いものがある。けれど、もうそうも言っていられない。ヤツラの仲間が、一両日中に踏みこんでくるのは明白だ。今後の足取りを気取られないように、早々に痕跡を消して出ていくのが賢明だろう。
 源泉は今夜はもう何度目かの、大きな溜息をついた。割れたガラスを踏みつけて「おっと、危ない! まったく、こんなに風通し良くしやがって!」と悪態を吐きつつ、荷物を片付け始めようとした、その時。

 源泉の視界の端、部屋の片隅で ――――― 何かが動いた。



  <続く>
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